Friday, March 19, 2010

HP

SBSのウェブサイトが高校のHPの一部となりました。

以下リンク
http://www.momoyamagakuin-h.ed.jp/sbs/index.html

Thursday, July 23, 2009

引き続き、

今週末より4回目の現地視察に行ってきます。

高校生を主体に、そう思って卒業後は活動から離れていたけど、なかなか活動を引き継いでくれる後輩が現れない。

困った。

とりあえず、今回は建設した学校にプレイグランドやミニライブラリの併設を検討しに行きます。

俺らが手掛けた学校とは一生の付き合い。

教育に携わるってなかなか大変なもんです。

Sunday, February 22, 2009

長らく

アメリカに来て以来、大切な更新もおこたっていました。

肝心の学校建設ですが、無事に完成しています。

デイケアは2007年の12月11日(最後の更新からすぐですね、2年おくれですが報告です)

開校式にはいけなかったのですが、4年間ともにやってきた相方と先輩、先生方が参加してくれました。

以下デイケアの写真です。











この活動を始めて約5年が建ちました。今では決して大きい規模のデイケアではないのですが、十数人の子供たちが、僕たちの建てたデイケアで勉強しています。

現在、僕はアメリカにいるのですが、この高校時代に活動していた経験が何よりも大きい財産になっています。

すべての子供たちに教育を。彼らのためにと思っていたこの活動がいまではきっと僕が彼らからもらったものの方がはるかに大きいと思う。とにかく学校は建設されました。

そして、今僕の母校の高校では後輩たちが第二校目の建設を計画している様です。

「俺らが1校建てると、この活動はどんどん広がっていくんや。俺はこの活動を日本中に広げる」

活動の支えであった温井先生の言葉も今は、真実になりつつあります。

とりあえず、2校目。

後輩たち、頑張ってください。

Thursday, October 18, 2007

着々と。

学校建設が進んでいます。先日、完成した校舎に貼るプレートのサインを書きました。
3年前はこのプレートに自分の名前が載るとも思わず。人間叶うもんしか望まんのやなーと実感しました。
さて、学校の完成も秒読みとなってきたので、そろそろ第4回フィリピン視察の予定を立てていきます。


今回のメインは開校式。式が終わって村人とかとサンミゲルを飲みながら団欒するのが一番の楽しみっすね。今回は式に新聞社も呼ぼうと計画中。んで、市役所で奨学金の提案。んでマニラでフィリピンを満喫したり。こんなけできれば言うことなしっす!

学校では理事長のパネルディスカッションやシンポジウムが行われています。これらに参加できひんのが残念やけども、自分の考えまとめる為に原稿だけでも書いてみようかな。

なんしかすべてが順調にいっております。

Friday, August 31, 2007

Under Construction

現地から建設過程の写真が届きました。悪天候が続き建設が遅れてるらしいです。
経費削減のため建設に携わる大工さんはみんな村からののボランティア。現場監督のみCIWESTの斡旋によるプロの大工さんです。






早くフィリピンいきてー!!!

Thursday, June 14, 2007

Next

アメリカにいるとSBSの活動とリアルタイムで関わることができない。
ちゃんと職員会議では話進んでるんかなーとか建設の下準備は順調に行ってるんかなぁとか、けっこう心配になってる。まぁなんとか学校建設は順調に下準備が行われてるみたいです。ようやくレールに乗ったって感じ?

と同時にSBSは新たなスタート。一校目が建ったからって終わりじゃない。後輩達には0からのスタートでSBSを始めてもらいたいと思う。どんな学校にしよう?どの国がいいやろう?何が必要なんか?
後輩たちにはそんなことを1から考えてほしいと思う。

今建てている学校は後輩達のモデル。
無理や無理やといわれてきたが3年間でここまでに成長させることができた。
第一校は俺らの自慢です。

Saturday, March 24, 2007

フィリピンへ

3回目のフィリピン視察に行ってきました。以下のスケジュールです。視察は以下の日程で行われました。

13日(1日目)
PR407マニラへ。
DEPET(教育省)訪問、活動のアピール。
CIWESTオフィスにてミーティングCIWESTのスーサン宅へ

14日(2日目)
建設予定地マタアスナガホイのSanbrano市長訪問。活動のアピール。
建設予定地村マンガハンへ。バランガイカウンセラー達と交渉
村の案内。キャプテン宅にてホームステイ

15日(3日目)
村の調査。村人と団欒。
市長宅へ。市長と夕食。市長宅にて宿泊

16日(4日目)
マタアスナガホイの教育関係者(13人)とミーティング、SBSの説明、他のデイケアへ
政府関係者Corazon Lasin Landichoさんと出会う。
名前もしらない村にてホームステイ
ミーティング

17日(5日目)
軍のメディカルミッションへ参加。
マニラへ。アストリアホテルへ
藤村さん宅へ
スクワッター散策。ディスコやカラオケバーへ

18日(6日目)
買い物。午後からオフィスにてミーティング。
藤村さん宅へ。パレンケにて買い物。スパへ。

19日(7日目)
CIWEST Officeにて日本語の授業。
空港へPR408にて関空へ。


 2007年3月13日から19日まで3回目となるフィリピン視察を行った。今回の主旨は今後のSBSの方向性を決めるため。デイケア建設予定地の調査に向かった。一般的に、学校建設には長期に渡る事前調査や、バランガイ(村)のサポート体制、市長のしっかりとした協力体制が必要となるが、これらすべてを日本にいる自分達で行うのは不可能。カウンターパートであるCIWESTのスーサンに以前から建設予定地を調査してもらっており、その後実際に自分達の目で見て、村人と交渉し、候補地決定を行う。このように今回の視察は行われた。
1年ぶりに訪問するマニラの街は以前よりも一層きれいになっており、殺伐と思えるケソンのきれいな町並みがひときわ目立っていた。2日目に理事長から電話をいただき、SBSの今後の打ち合わせを手短に行った。理事長の提案は金が足りていなくてもCIWESTと合同で行えばいい。足りない資金、人材、仲介をCIWESTが行うから合同事業として進めようという。願ってもないオファーであった。しかし、現時点で建設をしても維持をしていく後輩が引き継げるのかという大きな不安が残っていた。
建設予定地のマンガハンはバタンガス州のマタアスナガホイに位置する。日本名でマンゴー村。この村はリゾート開発が進んでおりここから望むタール湖は最高である。リゾート建設にも政府の金が流用している等の噂を聞いたが直接なSBSの活動への支障はないであろう。この村でみた貧しい現状は金がなく病院にいくことができない寝たきりの男性。質素なバスケットリング。とりわけ村の貧しさはかなりのものであった。
スーサンやマタアスナガホイの市長Sanbrano氏を通して行った現地との交渉は順調に進んだ。工事のサポート、工事にかかる労働者の賃金は一切出さないことや、建設後のケアもバランガイが責任を持って行う点等を誓約書に書く条件とし、前向きな検討を始めた。この村にある唯一のデイケアは8人しか収容できない。動き回るのが大好きな子供にとって小さすぎるそのものである。村人は一刻も早くデイケアの建設を望んでいた。

 自分はかつてまでどこがベストな地域か―現地のニーズは何かなど、あらゆる疑問心を抱き、途上国や学校建設への知識を高めてきた。しかし自分はこの活動に彼らからの何の見返りも求めていない。自分達の手で建てた学校に子供たちが通い、またデイケアが村の中心的な存在になり、村人が初等教育に興味を持つようになり、デイケアを通し、村のコミュニティが活性すれば、もう言うことはない。それこそがSBSのゴールである。と感じたのだ。ここよりあの地域が、あの地域はここよりも建設にニーズがある。そのようなことをずっと考えてきたが、ただCIWESTがノミネートしてくれた地域が学校を、SBSを必要としている。
それだけでは建設の理由にならないのだろうか。


 4日目にマタアスナガホイの市役所で出会ったCorazon Lasin-Landichoさんから奨学金についてマタアスナカホイで行われている奨学金制度についての有益な情報を得た。「お金がなく学校に通うことが出来ない子供たちに教育を。」SBSのコンセプトのひとつである奨学金問題の糸口をつかんだ。デイケアはいくら無償といったところで教科書代や制服代等がかかるのは必然である。しかし、それらの諸費用が払えずに、家の手伝いを優先させなければならず、デイケアに通えない子供たちもたくさんいる。単に現地NGOにお金を渡す。これだけは絶対に避けたい条件であった。現地NGOとタイアップしたとしても、自分達の意見やSBS独自のオリジナリティを反映させたい思い今まで活動を続けてきた。デイケアに奨学金制度を導入するのは始めての試み。現時点では詳しいことは何も決まっていないが、近い将来、彼女と市長と共に奨学金の制度を確立させようと思う。

また、建設後の維持については、SBS、CIWEST共にデイケアへの諸費(光熱費や修理費等)は一切払わない。定期的なチェックだけである。一切の諸費はすべてバランガイの経費から落とすことになった。これが事業着手となった最も大きな理由であろう。とSBSの引継ぎ問題にも影響が出ないこと。また最も結束したバランガイ(村)コミュニティーのためである。出来る限り修理の必要がないようにと、あれだけしっかりとした校舎を建てるのも納得できた。当初悩んでいた悩みがなくなり、建設を先延ばしにする理由はなくなったと思う。確かに問題点なら多く残っている。が、その問題点はこの先消え去ることはない。いかにこれらの問題点と向き合っていくか。今後の重要な課題であろう。

今回の視察でもたくさんのことを学んだ。行く度に自分が成長しているのが実感できる。それも毎度お世話になっているCIWESTのスタッフをはじめ、たくさんの出会った人々、一緒に旅をしたSBSのメンバーの助けがあったから。本当に感謝している。
また、一番大切と感じた事は行動力。僕達は高1の時、無謀にも何の知識も持たずにフィリピンへ飛んだ。それがきっかけとなり以後2度に渡る現地視察の末、学校建設や進路、出会ったたくさんの人々、数え切れないほどの感動など様々な経験をすることが出来た。是非、後輩達にもこの行動力を持ってフィリピンもしくはその他の途上国地域へ足を運んでほしいと願う。




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Tuesday, February 13, 2007

豊橋へ。

先日愛知県豊橋市に本部をおくCIWEST財団の宮本さん、Susan、Anneにお会いしてきました。今回の主な訪問の趣旨は今後のSBSについて。結果から先に言うとSBSはCIWEST方式で建設を行う予定です。

今まではCIWESTのデイケアは自分達には大きすぎるとか、豪華すぎる等、ECCD系の学校のほうが合ってたと思っていた。しかし、それはカテゴリーが違うから。ざーっと自分の知っている範囲の例として、「自給自足型」「ストリートの奨学金制度」「完全無償型」等まぁいろんなモンがある。確かに、識字だけを教えるなら豪華な建モンはいらん。CIWESTが目指しているのは「コミュニティー活性型」(自分なりの解釈です)。識字だけでは根本的な解決にはならない。算数や情操教育、きちんとしたコミュニティーが必須である。
それに、建設を村人で行う点など私たちが目指す事業と通ずるところがある。
私たちが自分たちのコンセプト(寺子屋式)に基づき建設を進め、毎年、必要箇所の補修を行うと提案したところ、最終的にはCIWESTと同じような形になる。だから最初からCIWEST方式ですすめる事を勧められた。

―自分達の意見をいかにして反映させるか―これが今後のSBSの課題であろう。

CIWESTのデイケアの上に自分達なりのオリジナリティを出したい。

より良いデイケアを目指そう!

Sunday, January 07, 2007

進歩

先日OGの方も含めミートをした。
久しぶりの幹部ミートで話が進み自分としてはすっきりした!
新しい方向性、自分の課題、そして建設の大まかなビジョン。そういったものが明確になった気がする。

新しく決まったこと。
2008年か9年の学校建設。法人化に伴い、2013年に改修・学校登録も済ませるつもり。
2008年に建設するSBSの記念すべき1校目。それはSBS本来の「すべての子供たちに教育を」のコンセプトに則った完全無償の識字学校。フィリピ政府は教育に力を入れてて、識字率や教育面はしっかりしてるものの、制服や教科書などの出費や、授業について行かれへん子供たちの中退率もかなり高い。SBSで建設する学校は小学校就学前の子供たちを対象としている。ただ、完全無償にするかわりに、村人には何かしらの見返りを求める予定。

いくら建設の時期を先送りにしても、問題が生じるのは避けれない。
だから2013年にもし、改修するところがあるなら改修。現状維持の可能性もありうる。
そのへんはケースバイケース。

あとは建設において、現地大学との提携?
これはまだ正確には決まっていないが、学校建設において生じる様々な障害の解決として、現地の大学の同じような団体があれば心強い。今はラサール大学とのつながりが有望。

2013年に大規模な改修が必要な場合、日本政府が提供するODA・草の根無償協力も視野に入れている。
400万円以下のBNH案件に関しては、現地大使館の決済も可能。

とりあえずこんな感じかな?
今の自分の課題。1月末までにメンバー構想をまとめ、一つの立派なもんにする事。
今が一番活動できる時期やからなーがんばろう。

Saturday, December 23, 2006

以前、「SBSは個人の集まり」と言ったが、それは間違い。
宮本さんが言っていた軸を持ちなさい。って言う言葉の意味をこの期に及んで理解した。

基盤の弱い組織には何らかの対処法が求められる。それ以前に核を持たない組織なんてない。
学生主体の活動にもやはり顧問となる軸がいる。今のSBSの現状を維持するにはやっぱり核が必要。

さて、どうするか。

Tuesday, November 07, 2006

1ペソの経済学

「ペソペソ」と言って子どもがついてくる。これほど嫌な瞬間はない。
途上国を訪れたことのある人は必ず経験するであろう場面である。

僕は高1の時に初めて訪れたフィリピンでこの場面に会った。ホテルからジプニーに乗り、豪華なホテルやレストランが連なる大通りを信号で止まったとき、ジプニーが子どもに囲まれ、窓からお金を要求するのである。僕はお金をあげることはしなかった。というか、どうすることも出来なかった。

そのときにお金をあげたら彼らは一時的には満たされるであろうが、長期的に見るとこれほど厄介なものはない。彼らは物乞いに頼り、仕事をしない。物価を上げることにもなるし、国自体の経済発展が望めない。

ただ、もしフィリピンでペソと言われたときに僕が無一文でひどく腹をすかしていたら?
逆に彼らはなけなしのモノを僕に分けてくれるだろう。そんな国がフィリピンである。

僕は物乞いに出会ったときに、お金をあげてしまう。一緒にフィリピンに行くメンバーでお金をあげるのは僕だけ。僕のしてることはやはり間違いなのだろうか?

Wednesday, September 20, 2006

ODA

フィリピンで見た立派な空港。しかし運営が成されていない。
ODAが批判されている理由として、空港や、ダム、港湾等のインフラ整備の際に、建設が日本の企業が担っているという点〔例外あり〕。故に、日本企業とのつながり、いわゆる政治の裏社会が構成され、ODAの評判を最も下げていると感じる。更に、冒頭で言ったような単なるハコモノの存在。

まず、インフラ整備の際に、工事を日本の企業が受け持つという点において。
インドや中国等のある程度経済発展している国に対してのODAの活用については日本政府は介入しない。(ここにも問題点があるが・・・)しかし、フィリピン等の国々に対してはこの国の政府の介入の権限がないのである。誰だかわからないがお偉いさん方がフィリピンには空港が足りない。ダムがない。だからそれらを建ててやる。そういった感じであろう。例え、それが現地に必要のない場合や現地のコンサルタントで手に負える仕事も、日本のコンサルタントが介入するのである。日本が受け持つことによって経費もかなり上がる。

更に上からの援助では目に見えない部分がたくさんある。現地での信頼や迅速な行動が可能である現地NGOとの連携が今後ますます重要になってくるだろう。
いかにして、現地業者が工事に介入するか?これはフィリピンが経済発展を遂げるしかないのだろうか。
ただ、そうなると日本が建てている、ハコモノは仕方がないのだろうか?JOCV等での目に見える協力即ち、技術協力だけでは自国は発展しない。インフラが整備されて初めて技術協力の効果が発揮されるのではないだろうか。
とにかくODAは「無駄」が多いと思う。ODAの存在そのものを否定するつもりはないが、多くの借金を抱える今だからこそ、ODAの有効な活用が求められるのではないだろうか。

Wednesday, September 13, 2006

進展ナシ

最近活動をしていません。一応、形だけでも受験生ですもんねー



受験が終わったらフィリピンに行こう。

CIWESTに行こう。

宮本さんに話をしにいこう。

早く決まって欲しいもんです。

Tuesday, July 18, 2006

進展アリ

ちょいと前にNGO団体ACTIONの合宿に参加してきました。代表の横田さんに勉強が足りないと叱咤されたけれど、本当に良い情報を得ることが出来た。EECDの存在である。
CIWESTの建てているデイケアセンターの建設費は400万円。それを言うとビックリされた。これは僕の見解であるが、CIWESTはお金がたくさんある。僕らの建設費もすべて出してくれるって言っていたくらいなのだから。お金に余裕があるから、自ずと立派なものになっていったのではないだろうか。こんなことを言っているとCIWESTスタッフに怒られそうであるが・・・w

しかし、横田さんの考えでは「そこまで頑丈な建物は必要ない。最低限のお金で、建てる」そのような考えであった。
どちらかと僕たちの元来の考えに当てはまっていると思う。またEECDとは、貧しくてデイケアにもいけない子供たちに完全に無償で提供する小学校就学前の読み書き塾である。また教師もEECDの卒業生が大学生になり、ボランティアとしてEECDに戻ってくる。そのようなシステムもあるとのコト。建設費は30万から50万程度。廃校になった学校の修復なら安くつくとのこと。本来のSBSのコンセプトにマッチしているのではないかと思う。
しかし問題はCIWESTである。今まで本当にお世話になっている。これからもそうであろう。CIWESTなしではここまでSBSは進展しなかった。今まで散々お世話になって、CIWESTを通して学校を建設する方向になっていたのに。宮本さんの建てている学校の中でデイケアより下の学校はない。そこを、CIWESTの株組織としてSBSのEECDを建てるというのが僕の理想である。

最近学んだことであるが、学校建設で大切なことは現地のニーズだけではない。自分たちの理念が必要である。おそらく宮本さんに言ったら納得してくれるだろう。しかし、その前にもっと自分たちの理念を明確にする必要があると思う。それをはっきりさせた上で、もう一度、宮本さんに話しをしにいこう。

そして、2008年の工事着工を目指したい。

Thursday, June 22, 2006

University

もうすぐ受験。AOの一番早いのんは8月の終わりらへんから始まる。AOの原稿を考えてると「将来何になりたいんやろう?」ってよく思う。給料の良い仕事とかじゃなく自分に合った職業を見つけたいってのは中学ん時から思ってた。
まずそれ以前に大学で何をしたいんやろう。SBSを通して「開発」に興味を持つようになった。発展途上国と先進国の差。どうしたら貧困から抜け出せるのか、そもそも貧困とは何か?そんなことを学びたいと思う。

僕は一時期SBSの活動がほんまに正しい事なんか疑問に思っていた時期がある。ほんまに教育が彼らにとって必要なんやろうか。ってこと。学校建設によって現地の一部の人間だけの私腹を肥やす例もたくさん見てきた。そんな結果に終わりたくない。いろいろ調べるうちに、今となってはやっぱりSBSの活動が正しいって思えるようになった。今はまだ建設に至っていない。しかし建設が近づいてくるともっと、いろんな問題が出てくると思う。それに対応できる強い組織もつくらなあかんと思う。このことも大学で学びたい。更に、大学生になり、仲間に恵まれたら新たな法人も作りたいと思っている。

あとODA。ODAって聞くと悪いイメージを持つ人が多いと思う。僕もその一人でODAは嫌いやった。フィリピンでODAのハコモノを目の当たりにした。こんな馬鹿なことがあってええんか?って心底腹が立った。しかし、今のフィリピン経済はODAなしではありえない事実もまたある。僕らはODAの悪い情報しか見てなかった部分が多々あると思った。良いところを見るといかにODAが大切かも伝わってくる。この辺も大学で学びたい。将来ODAに関わりたいと少し思う。

更に大学でもう一度留学したい。英語はやはり絶対条件である。現地では自分の意思が思うように伝えれない。それがごっつい悔しかった。

こう考えるだけで大学ってのはほんまに楽しそうである。ただ単に大学に入るんじゃなく目標とかしたい事を明確にもって大学生になりたい。
受験勉強。がんばろう。