Wednesday, March 15, 2006

ミート

今日、学校でミートをした。ミートってゆうかフィリピンの打ち合わせみたいなもんかな?
そんでも得たことはいっぱいあった。自分がSbSに入ったときの考え、気持ち、いろいろ振り返った。
やっぱり僕は学校建設のことしか考えてないんやろうか?

この活動をする上で1番アカン事は建設を優先させること。一番って事もないけど学校建設を優先させたら、必要とされない学校になる可能性もあるし、知識がない状態で経てても問題が生じた場合対処できひんなったり、問題が多々ある。僕の知らん問題点もいっぱいあるんやと思う。この辺があやふやや、、、ここんとこ考え直したい。

僕は将来、初等教育の先生としてストリートチルドレンや文字の読めない子供に読み書きを教えたい。しかしそれが職として暮らしていくことは難しいと思う。そのとき僕のしたい仕事って言うのが決まっていない。昔は国際公務員、パティシエやCAになりたかった。でも、今は思わない。早く見つける必要もないと思う。大学でしたい事は見つかると思う。早く大学生になりたいなー

Friday, March 10, 2006

CANADA

僕がこの高校に決めた第一の理由。短い期間やったけどほんまによかった。人生で1番楽しかった。
アルバータ州のカルガリー。バンフにもっとも近い都市で多くの人が来たことあると思う。とにかく夏のカルガリーは最高やった。
僕らはSAITって大学でホストとの対面式があった。僕を迎えてくれたんは、横におっきいお母さんWendyと兄Curtis(10)弟Taylor(8)姉のSiela(6)と妹のAnnica(1)やった。僕んちはかなり高級住宅街の中にあった。でも僕んちだけはそんな豪華な家じゃあなかった。笑
カナダの家は基本的に地下室がある。僕の部屋は地下でかなりすずしく、テレビもダブルベッドもあってかなり気に入っていた。家にはJyoJyoってゆうジャーマンシェパードがおたっりして楽しかった。お父さんのRayは仕事で忙しくほとんど家にいなかった。ホームステイをするにいたってどうしても避けれないのがホストの好し悪し。友達の家はプールがついてたり、ダンススタジオがついてたりかなり豪華な家が多かった。僕んちはというと、車すらなかった。でも僕んちは人が本当によかった。Wendyは英語はもちろん、カナダの生活とかカナダ料理の作り方など教えてくれたり、ほんまに親切にしてくれた。ほかのホストの母親はご飯を作ってくれんかったりしたこともあったらしい。その点ほんまによかった。子供たちともめっちゃ仲良くなった。1日6時間近くかくれんぼしたこともあった。授業(午前はカルガリー大学でESL、午後はSAITで英会話)終わって家に帰るなり、What do you wanna do What do you wanna play!?口癖みたいに言われた。野球したり、鬼ごっこしたり、かくれんぼ、水鉄砲、JyoJyoの散歩ほんまに楽しかった。 僕のホストは僕にとって最高やった
僕らは途中友達とバンフにいった。ほんま。感無量やった。カナダで学んだことも本間に多い。やっぱり1番思ったんは英語勉強しようおもったし、またカナダに留学したいってのも思った。たぶん1年も行ってたら大学で留学しようとおもわんかったやろうし、文化祭とかにほんでしたいことも出来へんかったと思う。カナダの短期留学はほんまによかった。

これがホストの家族。Wendyが写っている数少ない写真。


家から5分の自然公園。カナダで見つけた一番のお気に入りスポット。シカやウサギ、けしの花までも、、、

春休み

今は春休み。期末も終え、欠点もなく進級できた。
今は講習とバイトしかない。暇やなー。。。なんかしたいんやけど特にしたいこともない。予備校決めたり、NPO登録したり、せなあかん事多いんやけど。

今度の27日からまたフィリピン行くことになった。今、クーデター起こって一時、危なかったけどなんとかいけるみたい。
今回は現地の視察。いろんな小学校やデイケアをまわる。去年行ったバタンガスも行く。ホストファミリー元気かな?今回はちょっと英語も上達してるしいっぱい喋りたい。それに今回はスラム街をも訪れる。スラムに入るんは初めて。どんなんなんやろう。。なんしか今回は期間が短い。温井先生の休みがそんなけしかないらしい。まあそんなけ取れただけでもよかった!しっかりと勉強してきます。

Thursday, March 09, 2006

フィリピン-第一候補地-

数多くある候補地の中でなんでフィリピンになったんやろ。
宗教、言語、日本からの距離、治安、現地とのコネ・・・それが全部当てはまる。
僕らの学校はキリスト教。資金調達のため、教会も回ってる。あとあと宗教の問題は出てくると思う。
英語やったら僕も日常会話くらいなら問題ない。交渉は先生にも任せれる。日本からも4時間くらいで直行便もある。例えばネパールやったら山岳地帯になって渡航費もぐっとあがる。治安・・・僕は帰ってこれた。コネもある。候補地としては完璧やと思う。でも、なんかしっくりこうへん。
それが識字率。フィリピンは識字率が高い。ほかの候補地に比べても絶対に高い。フィリピンは東南アジア一ストリートチルドレンが多い国やしもちろん彼らは学校にも行けない。学校を必要としていることは間違いない。
学校を建てるからには役立つものになって欲しい。途中で支援が終わるようなことになってはいけない。候補地決定の道のりはまだまだ長いと思う。

この間、フィリピンのレイテ島で地すべりが起こった。何人もの人が飲み込まれた。学校も下敷きになったとニュースで見た。レイテ島は1番最初に上がった候補地である。もし、もっと早い段階でレイテ島の学校建設が行われて、学校で授業が行われ、地すべりに巻き込まれていたら・・・僕らは子供たちの命を奪っていたかも知れない。それを考えたらぞっとする。フィリピンの中での候補地選びも大変である。その土地のバックグラウンドを考え、本当に学校が必要かどうかも考えなくてはならないと思う。

Wednesday, March 08, 2006

School By School

School By Schoolそのまま学校による学校。この話を聞いたとき、なんか知らんけどごっつい興味を持った。SbS(School By Shool)の代表の人が来て話を聞いた。すごいと思った。何がすごいんか分からんけど何か感じたんやと思う。とりあえず、関わりたかった。その思いで代表に立候補したけど多数決で負けた。笑 代表は隣のクラスの女子でめっちゃしっかりしてた。僕はSub代表。
当時、いつの間にか僕らは個人で活動をしていた。もちろん上の人たちから学んだことも多く、的確な指示を出してくれていたけど、物足りなかった。とりあえず、現地を見たかった。学校建設においてもっとも重要なことである。担任に頼んだ結果、他の高校のスタディーツアーに参加してフィリピンを訪れた。あまりにも急な旅だった。実際に発展途上国に行くのははじめての経験だった。また詳しく書きたいが、フィリピンで学んだことの量は計り知れない。日本とこれまでに違う生活があったこと。政治家の汚職。ODAのハコモノ。汚い家。大量のごみ。空気の汚さ。人々の暖かさ。正直、フィリピンでこの活動は無意味かもとさえ思った。それほど自分は何も知らない。何もできない。しかも、フィリピンは貧困のイメージが高いが、そこまでひどくもない。もっと貧しい地域もある。考えさせられた。これが僕の国際理解に対する思いの始まりやった。

My School

中学のとき、世界にはたくさん問題があると聞いた。もちろん知っていた。でも何がどうで、どうなっている。全く興味なかった。高校に入って自分は変わったと思う。まず、いろんな人と知り合った。温井先生に出会った。いい友達もたくさんできた。高校の選択が正解やったと思う。たぶん、普通の高校に行って普通の生活を送ってたら、高校は中退してたと思う。今行ってる高校にはほんまに感謝している。僕は国際科。苦手やったけど好きやった英語を勉強したくて、留学にも興味あった。ほんまこの学校にしてよかった。
この高校の目玉は留学。長期留学と短期留学がある。1年カナダに留学したかった。でも長期は学力が足らんくて短期になった。僕は去年の夏に短期でカナダのカルガリーにホームステイをした。結果から言うと短期でよかったと心底思う。カナダについてはいつか投稿するつもり。
で、冒頭で言った世界の問題について。担任が国際理解にかなり興味がある。最初の授業でその話を聞いた。学校に行けない子供たちについて。School By Schoolの活動を知った。